今回の講義について、主催者側から数点、補足させてください。
1. ウェルビーイングとは
Wellbeingは、葛西は5/12の講演主旨説明「幸福」と簡単に説明してしまいましたが、「健康」や「福祉」など多様なものを含む概念の広がりをし忘れました。5/12の講演は、Framework
of Wellbeingを「健康観」と訳しておくと収まりがよいかもしれません。
2. アラビア語から英語へ?
イスラーム学の先生方は、ラフマナラ先生がさらっとクルアーン(コーラン)の英訳を提示されることに驚きを感じませんでしたか? クルアーンはアラビア語で味わい、アラビア語で読まれるべきもの、という前提がありますよね。チャプレンの標準語が(アラビア語の語彙を採り入れるとしても)英語に移行することで、どんな変化が起こっているでしょうか。
3. 心理学と宗教が出会い、再解釈しての統合を試みる
5月12日の講演では、1500年前の預言者ムハンマド(イスラームの創始者)のことばや、1000年前の神学者のことばなどが、現代の心理学理論とあわせて出てきて、少し驚かれたかもしれません。Traditional Islamically Integrated Psychotherapy(「伝統的イスラームを統合した心理療法」と、仮の訳をつけておきましょう)という概念が6枚目のスライドで紹介されていました。
心理学・心理療法は、(一)人間の心理についての知であり、(二)人間心理の探究方法であり、(三)それらを踏まえた治療方法でもあります。現代の心理学・心理療法とイスラームの「伝統的」な考え方とを擦り合わせながら、またムスリム(イスラーム教徒)たちが直面する心理的課題に取り組みながら、イスラーム世界の心理学者たちは、心理学とイスラームがどのように一致しうるのかを考えて、「イスラーム心理学・心理療法」という分野を近年新たに作ってきました。なお、この分野の標準言語は、アラビア語の専門用語を採り入れながらも、アラビア語ではなく英語になりつつあります。これは、他の宗教でも20世紀から生じている新しい動きです。
たとえば、仏教の瞑想は、近年「マインドフルネス瞑想」として流行し、医学領域や、グーグルのような企業での社員教育に取り入れられたりしています。そのさい、瞑想によって生じる医学的・教育的効能だけでなく、参加者の体験を理解するために仏教経典に戻ってみる、ということが行われています。この分野の標準言語も、サンスクリットやパーリや中国語や日本語を採り入れながらも、それらではなく英語です。心理学に刺激されて宗教復興、伝統ルネサンスのようなものが生じているのです。質問への応答では、近年トルコの図書館で発見された古文書が英訳された、ごく最近の動き、という説明もありましたね。
あるいは、病気や苦難を「信仰不足」と理由づけて人を苦しめる傾向がイスラームでもあることについて質問がありました。宗教を活用しつつ宗教の過剰さをコントロールする……イスラームのチャプレンの仕事は、このバランスをとることでもあります。同様の例が諸宗教でもあります。例を挙げると、キリスト教でも、信仰熱心であるがゆえに病気や苦難を「信仰不足」と自責する傾向があり、それに対して「許し」を提供することが、牧師や神父、そしてチャプレンの役割であったりします。
イスラームを国是とする国ではなく、西欧社会に適応して暮らす移民としての生活では、宗旨に照らして疑問に思うこと、母国とは異なる状況で判断に苦しむ場面がたくさんあるでしょう。この「判断に苦しむ」状況にたいして、当たり障りのない選択や、無難をもとめて非合理な選択をしていることが少なからずあります。イスラーム的なあり方の判断ができるにはかなり学んで「宗教リテラシー」を高めなければなりません。ドメスティック・バイオレンスや虐待にたいして、被害者が対抗できず泣き寝入りしてうけいれてしまう文脈もここにあるでしょう。西欧なりの新しい課題に対応しつつ、高い宗教リテラシーで、ムスリムたちの判断をサポートする役割を、(伝統的なイマームではなく)ムスリムチャプレンが担っているというお話が、前回のマンスール・アリ先生の講演でありました。次回と次々回の講演では、むしろ宗教リテラシーが高まらないことの帰結に注目します。特定の出身国固有の非宗教的価値観や、男性に都合のよい宗教解釈が、「正しいイスラーム」として女性や子どもなどの弱者に押しつけられる状況を、次回・次々回はみることになります。
カウンセリングが必要になる領域は、家庭内の力の作用や、リテラシーの格差が現れる領域でもあります。力や格差を利用する者と対抗するために、ムスリムチャプレンは相談に乗りつつ啓発をします。
4. 次回の、トラウマインフォームドケアについて。
DVや虐待で、トラウマ(精神的外傷)を負うような事態が起こり、被害者は心身の不調を感じていても、それがトラウマだということさえ幼すぎて分からなかったり、愛情表現と解釈したかったりします。それはトラウマではないですかと啓発し、傾聴して整理し、必要があれば告発したり問題の解きほぐしを支援したりする、これがトラウマインフォームドケアの考え方と、葛西は理解しています。
次回はトラウマインフォームドケアの説明が主になり、その宗教的な要素は背景に後退しますが、欠かせない重要な要素とおもわれます。5/12の「健康観」の講演に見るように。
5. 次々回は英国イスラームの関わるDVについて。
ドメスティック・バイオレンスや虐待(Domestic Violence and Abuse: DVA)についての次々回講演も、宗教的な要素は背景に後退しますけれども、注意して聴いて頂ければと思います。
次回同様、イスラームの重要なテキスト(クルアーン=コーラン)などや預言者ムハンマドの範例に帰ることを取り込みながら、心理学的・心理療法的な解釈や助言も行えることが、イスラームでのチャプレンのあり方と考えられているのだと、葛西は考えています。
ラフマナラ先生の講演は三回が一続きになって考えられており、次回のトラウマインフォームドケアの講演、また、次々回のドメスティック・バイオレンスの講演の、理解のためのベースになります。ほんらいなら同じ日に続けて聴講することでつながりを確認できるところですが、三講演を貫く重要な要素に、各回では十分な時間を割り当てられないのが残念なところです。